古代ギリシアの哲学者アリストテレスが著書「詩学」の中で
『カタルシス』という言葉を使っています.
カタルシスとは....
『悲劇が観客の心に恐れと憐れみを呼び起こし,感情を浄化する効果』
えっと...
悲劇を観て,潜在意識の中の恐怖や罪悪感が言語等の形となり,
心の中に留まっていた澱のような感情を認識できて解放され,緊張が解けて心が浄化される.
楽観的な刺激では到達できない作用.
...って感じな勝手な解釈ですが...
この『カタルシス』みたいな事をよくしています.って話です(笑)
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何か言われたり,何かを見た時に目を背けたくなるような瞬間の,
「傷ついた」「嫌」「不快」という感情を大事にしています.
これを見ないようにしていると必要以上に落ち込んだり,苛立ったりしてしまうのかな.と...
「傷つく」という事は自分が自分を認めていない部分を見つけられるチャンスだと思っています.
なので傷ついて痛くて逃げ出したい.モヤモヤする嫌な気持ち.
こんな感情を自分の中に見つけた時は本当の傷に出会えるチャンス.
敢えて傷に向かってひとつひとつほどいて行くと,「これだったのか!」という
想像以上にシンプルな想いがみつかったりします.
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嫌な感情はやっぱり嫌なので,向き合うのはちょっと大変ですが...
踏み込めないなって思った時は,その内容に近い小説や映画を観たりします.
(ここがカタルシスです 笑)
そうすると自分の嫌だという感情の波にのる事ができて,
少しずつですが受け止められるようになれる気がします.
怒りというものは正にで,突き詰めると寂しさや悲しさだったりするので,
怒りはどっか言っちゃいます^^
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相手がいる事だった場合も,結局は相手の言動のせいなんかではなく,
自分のプライドだったりコンプレックスのような弱い部分が原因だなって思います.
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人は,その一瞬がその人の全てじゃないです.
その時の のりだったり,昨日見たTVの影響だったり,直前に会った人の影響で...
傷つく言葉を言ってしまうかも知れない.
でもそれが全てじゃない.
もっと広いイメージで相手を見ると全部愛しくなれる...かも...?
もしかしたら自分の知らない所でそのたった一言を後悔してるかもしれない.
自分の感じた意味とは全然違ったのかも知れない.
今はそうでも明日は違うかもしれない.
そもそもその言葉を言った背景を知ろうとする...
そうやって相手を信頼できれば,穏やかに接する事ができるようになるんじゃないかな...
って思ったり...
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自分を被害者だと思ってしまえば相手に傷を癒やしてもらおうとして
依存状態になってしまうし,
加害者だと思ってしまえば罪悪感から正当性を主張したり,
認知的不協和を解消しようとしてしまいます.
でも無害者になれれば,お互いの非を認め,お互いの未熟さを受け入れる事ができて,
共に成長して行こうというwin-winの相互依存の関係になれるのかなって...
もし傷つけられたと思っても,傷つけた相手の痛みを感じて,
相手の中の弱さの中の 強さという光を見つける事ができて,
お互いの可能性に目を向けられるようになる気がします.
それが信頼なのかな...?
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で...結局...
そうやって物事をシンプルに考えて,
相手を信頼して自分の想いをシェアさせてもらうと...
凍った心が溶けて行く...
・・・でも・・・
この文章が全然シンプルじゃない!(´∀`*)。・゚+
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前回のブログ...読んで下さって...
そ〜っと反応して下さって...温かい雰囲気を下さって...
ありがとうございます.
凍った心が溶けだしちゃいそうです*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭*♡
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